聖武天皇、天平年間僧行基が、菩薩所として創建され、仏殿、方丈、鐘楼堂をはじめ、無量寿、善逝、五智如来、五層九層塔、石塔婆など、行基の手にかかったものばかりで千古の霊刹として名高い。

ところが、数百年の歳月が過ぎ去り、幾多の盛興亡に遭遇して、享録年間に火災に罹り、仏像一房舎を残して、すべて灰儘に帰す天文癸巳年、城主田中理春公に玉泉寺の荒廃を歎き、本山西教寺の管主真厭上人に請うて再興する。

専ら、浄土教化と寺門の復興を願った宗祖慈摂大師真盛上人の遺風を慕い、本刹を西教寺の支院をなし、念仏弘通の道場にされた。
宗祖上人の教え    戒称二門  無欲清浄 専勤念仏
玉泉寺の縁起